ボローニャブックフェアがテーマの、はじめての読み物
2016年、初渡航の年にエントランス前に立つ筆者。
『ボローニャてくてく通信』創刊に向けて
はじめまして、てらしまちはるです。
日本で、絵本の話題を専門にフリーライターをしています。
私はいま『ボローニャてくてく通信』という、メーリングリスト配信型の読み物を準備中です。初回配信は2018年6月15日予定。テーマはまるごと一冊、ボローニャブックフェアです!
ボローニャてくてく通信
https://www.facebook.com/bolognatektek/
ボローニャブックフェアだけをテーマにすえた本の試みは、おそらく日本でははじめてだと思います。でも、なぜ国内にいる私がボローニャなのか? ふしぎに思う方も多いのではないでしょうか。ここでは、私がこれを作るに至ったちょっぴり長い経緯をお話しようと思います。
「ボローニャ」の熱気にふれた学生時代
そもそもボローニャブックフェアをはじめて知ったのは、実に13年ほど前にさかのぼります。大学進学で上京した私は、ある日「絵本」が気になって仕方なくなりました。子ども時代に大好きだった一冊を同級生宅で見つけたり、絵本作家を目指す友人と知り合ったり……。
今では日々の仕事となっている絵本ですが、そのころはまだ、そんな道を自分が歩くとは思いもしません。未来の「入り口」ともいえる小さな偶然の数々が、歩く先になぜかちりばめられていました。そのうちのひとつが「ボローニャブックフェア」だったのです。といっても、イタリアへ旅行したわけではなく、東京・板橋区立美術館での「ボローニャ国際絵本原画展」巡回展を見始めたのでした。
絵本に関係する展覧会をやっているぞ、なんだろう、くらいのノリだったと思います。「ボローニャ国際絵本原画展」は、ボローニャブックフェア内で毎年行われる絵本原画コンペのこと。世界中の新人作家の登竜門として知られる賞です。その日本巡回展会場のひとつに足を運んだわけで、世界中から集まった原画が展覧会場をうめつくしていました。
生い立ちも文化もまったく違う人が、絵本というキーワードでつながっていること。言語を介さなくても、絵のもつ主張は理解できる気がすること。それって結構すごいよなあと、素直に思いました。
ちょうど時を同じくして、周囲の日本人イラストレーター(の卵)たちが「『ボローニャ』に入選したい」「いつか『ボローニャ』へ売り込みにいきたいなあ」と憧れを口にするのを、あちこちで見聞きするようにもなりました。だから美術の学生でない私にも、だんだんと、そして漠然と「ボローニャ熱」のようなものが芽生えてきたのは、自然なことでした。(日本の絵本界隈の人は、ボローニャブックフェアをよく「ボローニャ」と呼びます。)
板橋での展示にはそれ以来、ほぼ毎年欠かさず出向いています。その後さらにいくつかの偶然をつなぎ、やがて私は「絵本の編集者になろう!」と思い立ちます。奇跡的に希望の職につけ、数年後にはフリーライターとなって現在に至ります。
日本でボローニャブックフェア情報の発信を決意
さて、憧れの的として私の心に根付いた「ボローニャ」ですが、その情報を得ようと思うと、日本語ではごく限られていたと思います。少なくとも、2016年までは−−。
ボローニャブックフェア情報の発信は、日本では板橋区立美術館などがよく知られています。一方で、ブックフェア全体を俯瞰するなら、それに加えて一般メディアの出す取材情報もほしいところ。しかし、遠いイタリアで年に4日間だけ催されるイベントです。わざわざ出向くメディアはなく、ボローニャブックフェアは長らく国内の一般ニュースとして詳しく報じられる機会に恵まれてきませんでした。ミステリアスな感じが憧れを一層かきたてる面は、少なからずあったのですが……。
「メディアのニュースが届かない。でも、国内には興味を示す絵本人がかなりいるし、私だって知りたい。ないなら、自分で行けばいいのでは?」
そう思い立って2016年、はじめてボローニャの地を踏みました。
つづく・・・
ボローニャブックフェアの様子を日本で発信し続けるてらしまちはるさんのボローニャブックフェアとの出会い、絵本の世界への情熱、そして彼女のご活躍ぶりを全2回の連載としてお届けしています。つづきは5月第2週に更新予定です。お楽しみに!
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