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ローマの歩いてみたい散歩道5選
ローマの目玉観光地といえば、ご存知コロッセオやトレヴィの泉などですが、実はローマはどこを歩いても必ず歴史の香りがします。たかが道されど道。ホテルを出て、宛先もなくふらふらと歩いているだけでも、あちこちに遺跡や古い建物が連なるとても楽しい街です。
ピンポイントで歴史を押さえつつ、おしゃれな店先を覗きながら、「ローマの休日」のようなゆったりした時間を味わってください。今回は、ローマを歩き尽くしたガイドの私が、そんなローマ散策にぴったりな、いくつかのおすすめの通りを紹介します。
コロナーリ通り
コロナーリ通りは、ナヴォーナ広場の北側をちょうど東西に敷かれた路地です。現在両脇には大体400年から500年ほど前の家々が残り、その一階は、古美術商や、デザイナーズショップなどが軒を連ねています。2階から上は、アパートになっているところがほとんどで、住人がいたり、民泊として貸していたり、オフィスが入っていたり様々です。
この道の歴史をたどっていくと、1世紀ネロ帝の時代に、ラータ通りといって現在のコルソ通りに当たる主要道から、テヴェレ川の西側にあったカリグラ帝の競技場をつなぐ道として敷かれたものがルーツです。カリグラ帝の競技場はネロ帝がキリスト教徒の処刑の場として使用した所で、処刑された中にピエトロ(ペテロ)がいました。ピエトロはイエス・キリストの第一弟子だった人で、当時ローマには布教活動のために訪れていました。4世紀以降ピエトロの殉教の地に教会が建てられたのがサン・ピエトロ大聖堂です。
15世紀後半にシスティーナ礼拝堂を築いたシクストゥス4世によって道が整備されたのが現在のコロナーリ通りなのですが、当時は、巡礼者が絶え間なく通流道だったため、十字架やロザリオを売る店がとても繁盛したようです。
バンキ・ヌオーヴィ通りからゴヴェルノ・ヴェッキオ通り
ゴヴェルノ・ヴェッキオ通りは、ナヴォーナ広場の南側の路地です。ここも、中世色溢れる道で、バールや、軽食屋、ジェラート屋、おしゃれな店などが所狭しと並んでいます。
ホテルなどで貰える、一本一本道の名前の記された地図をよく見てください。バンキ・ヌオーヴィ通りの近くにはバンコ・ディ・サント・スピリト通りや、バンキ・ヴェッキ通りが見つかると思います。
この道が造られた時代、ローマはヴァティカン教皇の所領でした。「バンコ」というのは、銀行、英語で言うBANKのことで、ヴァティカンの中央銀行、および造幣局を意味し、バンキ・ヴェッキ(旧BANK)通りにまず建てられました。まもなくそれはすぐそばに並行してあるバンキ・ヌオーヴィ(新BANK)通りに移転されました。それに伴い、その周辺にずらっと民間銀行や、両替商、公証人事務所、行政書士事務所などが集中していきました。イタリア語の特徴でもありますが、同じ言葉で、いろいろな意味があり、「バンコ」は当時、そういった事務所や店先という意味でも用いられたために、複数の事務所(バンキ)が軒を連ねる道と名づけられています。いわば当時の丸の内ですね!
バンキ・ヌオーヴィ通りからゴヴェルノ・ヴェッキオ通りは一続きの道ではありますが、途中で名前が変わります。ちょうどその節目に当たるところにある高くそびえ立つ時計台は、あの有名な映画「ローマの休日」で、グレゴリー・ペックのアパートから見えるように合成されてますけど、とても素敵です!!
ゴヴェルノ・ヴェッキオ通りは、39番地に旧ローマ政庁のあったところです。日本語に通りの名前を訳すと、「旧政庁通り」といった意味になります。ただ、その39番地の現在は、、、現在は幽霊屋敷みたいです。
114番地には、昔ながらのBAFFETTOというローマ風ピッツァ屋があって、時々私も行きます。上に卵の乗ったBAFFETTO特製ピッツァが美味しいのでお勧めです!
マルグッタ通り
スペイン広場には皆さん行かれるでしょう??ならば、是非そのすぐそばのマルグッタ通りにもぜひ足を伸ばしてみてください。
高級ブティックの連なるバブイーノ通りに入って、初めの道を右手に入っていくと、急に田舎の路地裏に迷い込んだような錯覚に陥る道があります。そこがマルグッタ通りです。ローマの中心部にありがならも、蔦が茂っていて、趣があるなかなか素敵な小道です。この通りは、昔は大通りに店を出す商店の裏口の通路であったところなんですが、今ではこの雰囲気が好まれ、画廊や、デザイナーズショップ、おしゃれなIQOS展示場などもあったりして、ぶらぶらと歩いてみるのにちょうどいい通りです。
「ローマの休日」のグレゴリー・ペックのアパートはこの道で彫刻工房を持っていたアルチデさんのアパートをそのまま使ったようですが、現在扉は閉ざされていて中庭にも入ることは出来ません。残念!!
ポルティコ・ドッタヴィア通り
ポルティコ・ドッタヴィア通りは、大きな真っ白いユダヤ教の神殿シナゴーグの裏側の道で、通りにはユダヤ料理を出すレストランがたくさん並びます。この辺り一帯は、「ゲットー」と呼ばれており、現在は住人の全てがユダヤ人というわけではないのですが、イタリア統一まではカトリック教ヴァティカンの統治下にあったローマで、ユダヤ教を信ずるユダヤ人コミュニティーがこの地区に住まわされていました。
ユダヤ人のコミュニティーは、紀元前からローマに存在していたようで、その中で文化も習慣も溶け合っていったために、例えばユダヤ料理といっても、ここでは基本的にイタリア料理を基礎として、豚肉の代わりに牛肉や鴨肉の入ったローマ独特のアマトリチャーナやカルボナーラ、そして丸ごとフライされたユダヤ風アーティチョークなど、ローマ風にアレンジされたユダヤ料理をいただくことができます。
この道からマルチェッロ劇場まで少し下に降り、古代の道に入ることができるのですが、ちょうどそこに立派な神殿正面のペディメント(三角破風)とそれを支える柱が残されています。道の名前になった、オクタヴィアの柱廊です。正確に言うと、ゼウスとヘラ(イタリア語ではジョーヴェとジュノーネ)の神殿を囲む柱廊の南端の入り口だったところだけが残っているのです。初代アウグストゥス帝が再建し、姉のオクタヴィアに捧げたものです。
グリッロ坂からトール・デ・チェンチ通り
トール・デ・チェンチ通りは、フォーリ・インペリアーリ通りにほぼ並行する細い路地です。ナツィオナーレ通りからカヴール通りに向かって進むと、下り坂です。古代ローマを覗き見るドラマチックな道です。
坂を下って行くと、路上にアーチが見えてきます。アーチの左側の建物が、かつてのグリッロ貴族の宮殿であったのが道の名前の由来です。右側には、トラヤヌスのマーケット遺跡の一部が見えます。
アーチを超えてからは道の名前がトール・デ・チェンチ通りとなります。この道の右側に、ペペリーノ石という頑丈な火成岩を積み重ねた壁が見えてきます。実はこの壁を境に古代はフォールムと庶民の住む住宅地とが隔てられてました。庶民の住宅は木も多く用いられており、よく火災が発生したようで、その火が政治や経済の中心であるフォーラムに飛び入ってこないように初代アウグストゥス帝が築いたものです。隙間からアウグストゥス帝のフォールムに残る大理石の柱などが間近で除けます。
カヴール通りに出る少し手前にHOTEL FORUMというホテルがあるのですが、どうも、この辺りにユリウス・カエサルが住んだと言われています。ユリウス・カエサルは高級住宅街に住んでいたわけではないのです!!
ローマの裏道散策を一緒にご案内します!
いかがでしたか?今回は、ローマらしい雰囲気の素敵なローマの小道をいくつか紹介しました。もちろんガイドの案内なら、最も効率の良いルートで時間を最小限に使いながら観光をすることも可能です!
観光地から観光地の移動、散策中にお洒落なセレクトショップでショッピングをしたり、喜ばれるお土産に最適なショップに寄ったり、美味しいジェラートを頬張りながらローマらしい雰囲気の良い小道を散策したり・・・。一日プランにしてランチでローマ郷土料理に舌鼓を打つのもいいですね。一日観光の場合、他の観光地も盛り込むことができます。もっと効率的に短時間で多くの観光地を見てまわりたい場合には、ドライバー付きの専用車を合わせて手配もできます。特に小さなお子さまや年配のご家族がいらっしゃる場合には、猛暑の専用車での移動は快適で大変喜ばれます。テルミニ駅でのピックアップ、送りももちろんできますので、観光ルートのご相談から、料金まで、お気軽にお問い合わせください。皆さんにローマでお会いできるのを楽しみにしています!
お問い合わせは、以下のフォームよりお願いいたします。
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